ホイアンとフエ・ベトナム中部ある2つの「日本橋」を比べてみた
シンチャオこんにちは!
2022年4月になり、徐々に活気が戻りつつあるベトナム中部在住の日本人ミーです。
今回は、世界遺産の一つであり著名なホイアンの「日本橋」、それとは対照的にあまり知られていないフエの「日本橋」についてご紹介します。
1. Chùa Cầu Hội An
18世紀の古い町並みを今も楽しむことができる、世界遺産の町「ホイアン」。
昼も夜も美しいホイアンのシンボルとして、ベトナムの紙幣にも描かれている橋が1600年代初頭に建設された「Lai Viễn Kiều:来遠橋(別名:日本橋)」です。
昼間のホイアン
ライトアップされた日本橋
日本橋は、1600年代初頭に当時日本から貿易で来ていた日本人により建設、1817年に再建されたものだと推定されています。*
ホイアン旧市街は毎年水害に見舞われている地域であり、18世紀後半には西山の乱などもあったことから、建設年から考えると何百年前と全く同じ姿であることは考えにくく、実際1800~2000年に何度か修復や舗装が行われていることが明記されていることから現在は修復後の姿ではあることは確かです。
長さは約18m、幅は3mの「来遠橋(別名:日本橋)。
現在は日本を彷彿とさせるカワラや木材を使用した造りと、中国風を感じさせる陶器のモザイクアートや屋根のモチーフを楽しむことができ、橋の中腹には奥行きのあるお寺があり、中国の神が飾られているスペースがあります。
現在は、日本語(カタカナ)で「ホイアン」「ファイフォ」と書かれたランタンも飾られており、ベトナムに日本を感じることのできる場所でもあります。
住所:
*vietreader「Covered Bridge (Chua Cau) – the soul of Hoi An herita」
2. Cầu ngói Thanh Toàn
1802年から1945年まで続いたベトナム最後の王朝世界遺産にも認められている古都フエ。
そんなフエを16~18世紀にベトナム中南部を支配していた広南国時代の終盤である1776年に、建設されたのが「Cầu ngói Thanh Toàn:タントアン瓦橋(別名:フエの日本橋)」です。
隣に架かる橋から撮影したタントアン瓦橋
瓦屋根が美しいタントアン瓦橋
タントアン瓦橋は、Trần Thị Đạoという中国清朝時代の官吏(マンダリン)の妻であったThanh Thuy Chanh村のベトナム人女性が、村のためを想い多くの資金を提供したことで建設された橋として知られています。*
1990年には、建造物の芸術性と美しさが認められ国の文化財となっています。現在の橋は2000年代に復元、修復されているものです。*
長さは16.85m、幅4.63mのタントアン瓦橋は、地元民の憩いの場としても知られています。
日本橋と呼ばれる所以は、ただ単に「ホイアンの日本橋に似ているから」という後付けの理由であり、日本人がかかわったという記録はないようです。
現在は橋の中腹に、橋の建設に貢献したTrần Thị Đạoさんに祈りをささげることができる場所が設けられており、線香やお花やフルーツがお供えされています。
住所:
参考:現地の石碑に記載されている内容(英語・ベトナム語)
*khamphahue「Cầu ngói Thanh Toàn」
さいごに
今回はベトナム中部旅行で外せない、ホイアンの日本橋と、それによく似たフエの日本橋をご紹介しました。
フエの日本橋は実際のところ日本橋ではないので、この呼び方は不適切かもしれませんが、雰囲気や造りも共通点はいくつもあることから、さらに時代背景を調べたくなってしまう建造物の一つではないでしょうか。
いくつもの歴史的建造物が散らばるベトナム中部。
ダナンを中心に、ホイアン・フエも入れた3都市巡りもおすすめですよ。
Với các quý khách hàng kinh doanh trong lĩnh vực nhà hàng, cafe, khách sạn, spa, cửa hàng có nhu cầu đăng bài trên site này thì vui lòng liên hệ với chúng tôi qua email edit@danang.jp.
※本記事掲載の店舗情報、料金などは取材時点で確認した情報です。各情報は記事掲載後に変更されていることがあります。
なお、本記事に掲載された内容による損害等は、弊社では補償いたしかねますので、あらかじめご了承ください。
総合的にダナンを発信しているDanang Styleで取材記事の掲載や広告を掲載することで
「集客力UP」、「売上UP」、「ブランド力強化」などさまざまな効果が見込めます。