ホイアン|朱印船貿易時代を生きた3名の日本人の墓(谷弥次郎兵衛・蕃二郎・具足君)を巡る

 

 

歴史的な街並みが美しいランタンが煌めく世界遺産の町「ホイアン」。

そのホイアンには、ベトナムがフランスや日本の占領下に入る前の17世紀(1601年から1700年)初頭に、朱印船貿易によって多くの日本人が暮らしていました。

 

現在、ホイアン旧市街のはずれにその時代を生きた3名の日本人のお墓が残っています。

今回はホイアンに残る日本人墓地の様子や、行き方などをご紹介いたします。
 

 

 

ホイアン旧市街とビーチを結ぶ田園地域に残る3名の日本人の墓


16世紀後半~19世紀初頭¹にかけホイアンは、東西交易における重要な貿易港であり、その立地からも様々な国との交易関係を持っていました。

 

分かっているだけでその時代ポルトガル、オランダ、中国、日本との交易があり、正確な人数には諸説があるものの中国人商人は最大で6000人、日本人商人は最大で1000人程度定住して活動していたと言われています。

 

その後日本との関係は日本の鎖国政策が出たことにより衰退し、それ以降しばらくの間日本との繋がりは途切れます。

しかし現代にいたるまで「来遠橋」をはじめとし、鎖国政策の時に日本に帰らなかった、もしくは帰れなかった日本人の墓3基や日本や中国の影響を受けた造りの建造物があるなど、今も当時の名残を見ることができます。

 

今回は、現在もホイアンで大切に管理されている「谷弥治郎兵衛の墓(1647年建立の墓石)」、「蕃二郎の墓(1665年建立の墓石)」、「具足君の墓(1629年または1689年建立の墓石)」の3基のお墓を写真付きでご紹介していきます。




 

1.谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)の墓


1647年にホイアンで亡くなったとされる谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)のお墓です。

 

長崎・平戸出身の日本の貿易商人としてベトナムへ渡り、江戸幕府の外国貿易禁止令に従って日本に帰国することになったが、彼はホイアンの恋人に会いたくてホイアンに戻ろうとして倒れた。という旨が現地の石碑に記されています。

 

名前に関しては、他の2名と異なり、どの文献でも谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)、もしくはTani Yajirobeiと一貫されています。

墓へ続く参道

 

正面から見たお墓

 

墓石の文字
「日本 丁亥年/顕考弥次郎兵衛谷公之墓/平戸 孟秋立」

※/は改行

 

説明が書いてある石の情報板などの写真

入口に設置された注意事項が書かれた石碑

 

左からフランス語、英語、日本語、ベトナム語で記載されている墓地外にある石碑

 

「1647年、日本の貿易商人谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)ここに眠る。
言い伝えによれば、彼は江戸幕府に外国貿易禁止令に従って日本に帰国することになったが、彼はホイアンの恋人に会いたくてホイアンに戻ろうとして倒れた。この彼の墓は母国の方向、北東10度を向いている。この遺跡は17世紀にホイアンが商業港として繁栄していた当時、日本の貿易商人と当時の市民との関係が大変友好的であった事の証である。」

石碑の文字をそのまま記載

 

漢文の石碑(下の写真説明に詳しく記載)

 

左から、ベトナム語、英語、フランス語(内容は一つ上の漢文石碑と同じ)

 

「昭和3年西暦1928年文学博士黒板勝美教授の提唱に基きインドシナ在留日本人一同工事監修また順化府(現在のフエ省)在住中山氏に委嘱しこの墓所また修築す」

漢文を現代文にしたもの 

 

 

 

2.蕃二郎(ばんじろう)の墓


1665年に亡くなった日本人商人、蕃二郎のお墓です。

 

また、蕃二郎の名についてですが墓石には「潘二郎兵衛」と書いてあり、現地の説明版には「蕃二郎」、ベトナム語の記事には「Banjiro Suminobu」²、など色々あるのですが、近年のインターネットやガイドブックでも二番目の「蕃二郎」という表記を目にすることが一番多くなっています。

 

三名の中でも特に彼に関する記載は非常に少なく調べてもあまり文献が出てこない人物で今も彼のルーツについてはあまり究明されていません。

入口にある目印

 

正面から見たお墓

 

墓石の文字(一部)
顕考潘二郎字日純信神墓/分公 ■奉祀」
※■の部分は漢字が読み取れなかったもの。/は改行

 

説明が書いてある石の情報板などの写真

入口近くに設置されたお墓に入る前に注意事項が書かれた石碑

 

墓地内にある漢文の石碑(一つ下の写真説明に詳しく記載)

 

墓地内にある左から、ベトナム語、英語、フランス語の石碑(内容は一つ上の漢文石碑と同じ)


「昭和3年西暦1928年文学博士黒板勝美教授の提唱に基きインドシナ在留日本人一同工事監修また順化府(現在のフエ省)在住中山氏に委嘱しこの墓所また修築す」

漢文を現代文にしたもの

 

 

3.具足君(ぐそくくん)の墓 

具足君のお墓はホイアンのCẩm Hàエリアにあります。

名前についてですが、墓石には「考文賢具足君」、ある論文では「文賢具足³」、ベトナム語のニュースでは「Koubunken Gusokukun²」と記されているなど統一性はなく、正しい本名は不明です。ガイドブックなどの表記には「具足君」とされていることが多いので本記事でも具足君としています。

 

しかし具足家は安土桃山時代から堺の商人⁴で、防備の武具である甲冑の製造や販売の商売⁵をしていたことで知られている家の出であるとされています。

 

今回ご紹介した3つの墓石のうち具足君の墓だけは、後に起こるベトナム戦争時に駐屯していた韓国軍により危うく消失しかけます³。

しかし地元住民のおかげもあり現在は再建されたものが残っています。

入口は他の3基と同じように黄色の低い塀に囲まれている

 

3基の中で最も広い敷地面積を持つ具足君の墓

 

正面から見たお墓

 

墓石の文字
「日本/己巳年仲秋吉立/考文賢具足君居墓/■■ 奉祀」

※■の部分は漢字が読み取れなかったもの。/は改行

 

 

説明が書いてある石の情報板などの写真

入口付近に放置された具足君のの簡易紹介と注意事項が書かれた石碑

 

入り口近くに設置された説明版

 

「具足君の墓

この墓は巳の年 (1629年または1689年) に建てられ、17世紀に生業と貿易のためにホイアンに来た日本人実業家、具足君が眠っている場所です。彼はホイアンに埋葬されました。

お墓は北東方向を向いており、石灰モルタルで造られた馬の鞍の形をしています。昭和3年(西暦1928年)、トゥアンホア地区在住の中山氏の監修のもと、インドシナの日本人コミュニティによって改修。 2000年には、大成建設の資金援助を受けて、墓の元の状態にする復元が行われました。 2020年には、ホイアン人民委員会はこの場所の全体的な景観を装飾しました。

このお墓は、17世紀のホイアン国際貿易港の発展を証明する歴史的文書であり、ホイアン世界文化遺産の世界的な優れた価値に貢献し、ベトナムと日本一般、特にホイアン日本との友好関係を鮮明に表現しています。2019年、この墓はクアンナム省人民委員会による保護登録遺物リストに登録されました。
ホイアン文化遺産管理保存センター」

英語を日本語訳にしたもの

 

墓地内にある漢文の石碑(一つ下の写真説明に詳しく記載)

 

墓地内にある左から、ベトナム語、英語、フランス語の石碑(内容は一つ上の漢文石碑と同じ)

「昭和3年西暦1928年文学博士黒板勝美教授の提唱に基きインドシナ在留日本人一同工事監修また順化府(現在のフエ省)在住中山氏に委嘱しこの墓所また修築す」

漢文を現代文にしたもの

 

 

 

各墓地の場所


三つのお墓は距離が近く、自転車であれば3つ合わせて40分程度あれば、すべてを見て周ることができる立地に位置しています。

徒歩でもアクセス可能ですが、暑さが厳しい時期には熱中症に注意してご参拝下さい。

 

 

1.「谷弥治郎兵衛の墓」

大通りのHai Bà Trưngから畑に囲まれたあぜ道を行き、左手に見えてきます。

 

 

2.「蕃二郎の墓」

大通りのHai Bà Trưngにある看板を目印をすぐ横を入った場所にあります。

 

 

3.「具足君の墓」

大通りのHai Bà Trưngから小道に入って進んだところにあります。

 

 

 

参拝時の持ち物と注意点


せっかく参拝するのであれば、事前準備として以下の持ち物と注意点を確認しておくとよいでしょう。

お墓は地元の人に管理されており、また年に数回現地の在住日本人もお墓のお掃除を行っています。

 

このように定期的に管理されてはいつものの、野外であることから常に綺麗な状態を保っているわけではないので、参拝者は供養も込めて簡単な掃除グッズやお供え物を持参してもいいと思います。

お寺などの境内で万全に管理されているわけでないからこそ、参拝される皆さんで綺麗にしていきたいですね。

<あるとよい持ち物>

・日よけ(日中は木陰がなく暑いため日焼け対策は万全に)

・1リットル程度の水:一つの墓石(墓石への掛水としてや、お供え物、墓石周りの掃除に使えます)

・ウェットテッシュ(手の除菌や仏具の掃除に使用できます)

・ビニール袋(ゴミが散乱していたり、お供え物が朽ち果てていることもあるのでゴミ袋として使用できます)

・お線香&マッチ/お花/日持ちする袋入りのお菓子etc.(お供え物としてお持ち下さい)

※現地の雑貨店などで気軽に購入できるものばかりですのでご安心ください。

 

<注意点>
1.墓地内へ入るときは身だしなみにご留意願います。
2.墓地内及び近辺を汚さないよう努め、ゴミはお持ち帰り下さい。
3.墓石及び墓地内物品に、登ったり掘り起こしたり、また、落書きや破損行為はできません。
4.墓地内にバイクや自転車を乗り入れないでください。また、動物を連れて入ることはできません。

※現地の石碑にも記載されている内容をそのまま引用

 

 

 

さいごに


 

さて今回はホイアンにある日本人のお墓をご紹介いたしました。

ガイドブックにものっていますが、実際に行く人は少ないマイナーな場所です。

 

Googleマップを見ながら行けば迷わずに行くことができますので、是非ホイアンに訪れる方はホテルなどで自転車を借りてサイクリングがてら参拝してみてはいかがでしょうか。

 

___________________

<参考文献>

 ¹菊池誠一「第3章 ホイアンの歴史的環境(I ホイアンの位置と環境)(ベトナムの日本町 : ホイアンの考古学調査)」昭和女子大学国際文化研究所紀要巻 4, p.13-21

²Mộ ông Koubunken Gusokukun, phường Tân An」TRUNG TÂM QUẢN LÝ BẢO TỒN DI SẢN VĂN HÓA HỘI AN、2021/08/02

³大平晃久「ホイアン日本町の近代― 近代日本の記憶の場として 」歴史地理学 53-5(257)23-40 2011/12(34p)

⁴近藤豊和「ベトナム総領事館が堺にある400年来の理由 近藤豊和」The Sankei Shimbun、2013/12/24

⁵栄氏国際部アセアン交流推進室「堺とアセアンのつながり

⁶角南, 聡一郎「アジアにおける日本人墓標の諸相 --その記録と研究史-」『人文学報』第108号(2015年12月) (京都大学人文科学研究所)

 

 

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